悲しみの人/14世紀・ドイツ


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私の春画考- 宗教芸術の「聖」と浮世絵春画の「性」

 [別冊太陽 - 春画 江戸の絵師四十八人 2006]

ドイツのステンドグラスに、「悲しみの人」と題された窓があります。聖書の「キリストの受難」をモチーフに、中央にキリスト、その周りに彼を受難せしめる拷問具を配し、簡潔な構図で描かれた美しい薔薇窓――なのですが、サディスティックな道具に囲まれ優雅に立つキリストはやたら若く美しく描かれ、色気すら放っているようでした。聖なる芸術に潜む妙な色気のアンバランスな魅力に、強く興味を惹かれたのです。

以前からゴシック期の絵付けステンドグラスの描線、日本の古九谷などの陶磁器の描線、浮世絵の版の線、これら東西の異なる芸術の色彩を締める、独特の黒く力強い線の表現に興味を抱いていていました。そしてこれらを足して割ったような作品を作れないかと試行錯誤していたのです。

「悲しみの人」のような艶っぽい窓を他にも幾つか発見した私は、宗教芸術であるステンドグラスの「聖」に、浮世絵春画の「性」を置き換れば面白い表現ができるのではという考えが浮かびました。このアイディアを実践すべく、性なるステンドグラスを作り始め、次第に春画にも深く興味を抱くようになったのです。
そんな作品の一つのテーマに、男女の愛の形が集まって薔薇窓になればさぞかし壮観だろうなと、漠然と「性技四十八手薔薇窓」を考えていました。四十八手といえば菱川師宣。詳しい体位を知るのに調べていたのですが、次第に作品自体に惹かれていき、ステンドグラスと共に師宣の模写なども始めてみました。

その頃からステンドグラスだけではなく日本画の作品も並行して描いていたのですが、実際に筆を動かしてみると、この線を引くことのなんと難しいことか。でも、素材や技法は違えど制作していてあまり違和感を感じなかったのは、これらに介在する線の魅力がおそらく同じ質であるからではないかと思うのです。男女の性交図といったエッチなモチーフにもかかわらず悪趣味にならないのは、細かい失敗を恐れない、のびやかな線の魅力ゆえでしょう。
また登場する男女の福々しい表情には、思わず後光をつけたくなるほどの神々しさを感じることもたびたびで、「セックスは生きる喜びです」といわんばかりのおおらかであっけらかんとした性への価値観には共感できました。

男女の睦言を情感たっぷりにみせつつもどこか客観的に描かれた作品群からは、猥雑な性を描くからこそ余計に美しく描いてやろうという絵師の気概も感じられました。その姿勢は、私が作品を作る視点という上でひとつの機軸となったように思います。
そんな師宣の春画帖に描き出された性の物語は、聖書の物語を綴ったステンドグラスの窓と重なるのでした。

「聖」なる芸術に潜む色気、春画の「性」が持つ神々しさといったアンバランスな魅力は互いにシンクロし、描かれた線の魅力とも相まって、大いに刺激を受けました。 こうして学んだ様々なことを私なりに消化し、受け継いでいきたいと絵筆を握る日々なのです。

木村了子





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