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「木村了子展 おんなは屏風で欲望する」 [芸術新潮12月号 2007.12]

其れはまだ人々が「愚か」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった−−と、 はじまるのは谷崎潤一郎の「刺青(Shisei)」だけれど、木村了子の大作に日本文化に伏流するこの「愚か」のDNAを感じとることは あながち的外れでもあるまい。

狩野派の花鳥図屏風ばりの金碧空間を背景に、思い思いの紋切り型ポーズできめる 「おうじさまたち」は、身にまとうかに見える批評の毒をたちまちふりきり、欲望の晴朗さに輝いている。 平成の聖代ならぬ性代に現るべくして現れた、有無を言わせぬ迫力あり。すでにアジア某国のお金持ちへの婿入りが決まっているというのも、 なんだか谷崎っぽくてよいなあ。

「木村了子展 Prince come true」-現代美術のみかた- [美術の窓12月号 2007.12]

5月に北京アートフェアに出品した屏風に、新作の対を合わせた六曲一双「おうじさまのくに」。 ほのかなエロスとパロディが絡む美男子像は、木村了子のもっとも得意とする処。 それが今回は様々なおとぎ話とTVの戦隊ものの意匠を織り混ぜた群像劇となった。

愛しの女性を待ちこがれる「静」の王子と、筋トレに励む「動」の王子。昨今の王子様ブームやジャニーズアイドルのアジア人気の気配を軽妙洒脱に 取り込みながら、構図や描線は、狩野派の花鳥図を下敷きにしているという。古典と現代が絶妙にブレンドされた作品は、鑑賞者に様々な物語を イメージさせ、読解の自由がある。

同作は台湾のコレクターに収蔵が決まり、その間をぬって旧ギャラリーエスのスペースで2日間だけ展示された。 見逃した人の方が多いだろう。いつの日か美術館での展覧会での再会を願う。Prince come again.

wanitora



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